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沿革


1. 日本盲人カナタイプ協会の設立から日本盲人職能開発センターへ

日本盲人職能開発センターは、視覚障害者が一般の人と共に働くことを目指して、松井新二郎によって創設されました。

新職業開発を目標に日本盲人カナタイプ協会(昭和38年10月10日)を組織し、カナタイプの普及と指導者養成事業を開始、昭和43年度から国立東京視力障害センター(国立身体障害者リハビリテーションセンターの前身)に新職業訓練課程「カナタイプ科」を新設し、日本盲人カナタイプ協会がその指導に当たりました。また、カナタイプ科修了生やカナタイプ講習会の修了者の働く場として、昭和48年9月に「録音カナタイプ作業所」を設置して、同協会が運営に当たりました。

昭和51年9月には社会福祉法人認可、社会事業授産として発足。次いで、東京・新宿区四谷本塩町の現在地に新装になったビル(地下1階、地上2階)に移転して、昭和55年4月からは身体障害者通所授産施設「東京ワークショップ」が誕生、その後、録音カナタイプ速記から録音ワープロ速記へと移行して現在に至りました。

平成23年4月には、障害者総合支援法による就労継続支援B型(現定員35名)、就労移行支援(現定員25名)の多機能型施設「東京ワークショップ」を開始しました。

また、平成30年10月からは、就労定着支援を開始する予定です。

2. 歴代理事長と日本盲人職能開発センター

初代理事長の實本博次は、軍事保護院(戦傷病者の社会復帰を支援する政府の機関)において、事務官を務め、松井新二郎は日中戦争で両眼を負傷し、軍事保護院の失明軍人寮で訓練を受け、委託学生として学業に励んでいました。

二度目の出会いは、戦後、實本が厚生省社会局の身体障害者福祉行政の更生課長になり、松井が同課の所管する国立東京光明寮(後の国立東京視力障害センター)の教官として、中途視覚障害者のカウンセリングと点字の指導を担当していたときでした。
その頃、松井が心に秘めていた「視覚障害者職域開発の企画」が吐露され、カナタイプの普及・指導者養成のため「日本盲人カナタイプ協会」の設立をみたのです。
そこには、實本と共に上司であり厚生事務次官をされた葛西嘉資氏の多大なお力添えがありました。

昭和51年9月、認可になった社会福祉法人日本盲人職能開発センターの初代理事長として實本は、松井が進める事業の後盾として重要な役目を担うことになりました。

平成5年3月、實本は会長に退き、松井が2代目の理事長に就任しました。松井は、センター創設の理念「可能性に挑戦する視覚障害者の支援」を継続し、「職能訓練と職域拡大」事業に道筋を付けたわけです。松井の志は継承され、礎となっております。平成7年3月31日に松井は亡くなりました。

平成7年4月、松井のあと3代目の理事長として津山直一を迎えました。同氏は、我が国のリハビリテーション医学界の重鎮として、国立身体障害者リハビリテーションセンター総長在任中に、特に視覚障害者の訓練には意を注いでいました。平成16年6月に津山理事長は会長となり、代わって新理事長に初山泰弘を迎えることとなりました。同氏は、津山直一のあと国立身体障害者リハビリテーションセンターの総長、ついで国際医療福祉大学大学院院長を務めたあと、津山直一の意を汲んで新理事長として、特に視覚障害者の事務的職種の職能訓練の充実と職域拡大に関わる事業に力を尽くすこととなりました。
残念ながら、初山理事長は病をえて急逝し、平成16年12月、後任理事長に元国立身体障害者リハビリテーションセンター更生訓練所長の二瓶隆一が就くこととなり、二瓶理事長は、肢体不自由者、聴覚障害者、視覚障害者の職業リハビリテーションに携わった広い視野に立って、当センターの職業指導、訓練及び別記の職能開発支援事業を推進いたしました。
以降、障害者施策に精通しております川井一心、田中敏雄が歴任し、現在は片石修三理事長のもとで、視覚障害者の職能開発支援事業を行っています。

3. 歴代理事長

初代實本 博次昭和51年9月~平成5年3月
二代松井 新二郎平成5年4月~平成7年3月
三代津山 直一平成7年4月~平成16年5月
四代初山 泰弘平成16年6月~平成16年10月
五代二瓶 隆一平成16年12月~平成27年5月
六代川井 一心平成27年5月~平成28年4月
七代田中 敏雄平成28年4月~平成29年6月
現在片石 修三平成29年6月~